【Dogville】映画の観方を変えてくれた一本

映画人生を変えた一本

『Dogville』という映画に出会ったのは高校生のときです。映画を観終わったとき、こんな映画があっていいのかと思ったのをおぼえています。

 まだ映画経験が浅かった若者にとって、この映画は何もかもが新しいものでした。

 まずmise-en-sceneが現実の風景ではなく、舞台のようになっているということです。ロケーションは床も壁も黒いスタジオのような部屋で行われています。物語の舞台はアメリカの人里離れた村なのですが、建物はチョークで線を引いただけというもの。役者たちはないドアを開けて出入りします。犬までも線で描かれただけのものなのです。

 そしてこの映画の一番のウリは救いのないラストでしょう。この映画は全体を通して批判的な映画です。排他的人間の他人に対する身勝手で悪意ある振る舞いを見せつけてやろういう製作者側の心意気すら感じるのです。

 

【ここからネタバレ】人間の醜さを浮き彫りにさせる映画

 よそ者であるグレースに対する村人たちの行動が排他的に描かれています。その象徴ともいえるのが、グースベリーのシーンでしょう。グレースは時間に遅れそうなのでグースベリーの茂みの小道を使ってショートカットしようとします。するとそのグースベリーの世話をしているおばあさんに、「木が痛むからその小道を使うな」と言います。しかし「ごめんなさい、○○さんが通っているのをみたから」とグレースが言うと、「あんた村の人間じゃないでしょ」と一言。

 そして彼女が追われているという不信感から、グレースに対する村人の態度は最悪になっていきます。

 最後にはグレースは善意から、こんな村ないほうが良いと制裁を加えることを決意します……

 実は彼女を追っていたのは彼女の父親でマフィアの頭領だったのですが、最後は村人たちの裏切りで、父親に引き渡されます。父親は娘の酷いありさまをみて、「おまえの一言で復讐できるのだぞ」と告げます。

 さて、彼女は外に出て村人たちのいかにも排他的な目線をみて、村が気に入っているグレースは村のためにと村を滅ぼすことを決意。マフィアたちの手で村人たちがどんどんと殺されていきます。

 このシーンがどんなホラー映画よりも怖い。村人たちが不純なものとして描かれているのなら、グレースはどこまでも純粋です。そして純粋な善意として村人全員の殺害を決意する。この純粋さがどこまでも恐ろしいのです。

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